板橋区地名の由来「東京都板橋区編」
板橋区は東京都の23行政区の北西に位置するエリアで、江戸時代には中山道の最初の宿場町として発展した地域です。板橋区の面積は20.61平方キロメートルとなります。
板橋区地名の由来としては古く、平安時代にはその名前が既にあったとされてます。
その証拠としては軍記物としても名高い平家物語に1180年に平氏打倒を目指した源頼朝が挙兵して、この「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣したという記録が残っているためです。
豊島は隣りの豊島区で滝野川は北区の地名ですが、いずれも板橋地域から左程遠くない場所に存在する地名となります。
平安時代には区内を流れる石神井川を渡るためにかけられた橋があり、それが板で出来た珍しい橋であったことからその名前が付いたとされる説が有力となります。
板橋区地名の由来としてはそうでありますが、現在の板橋区になったのは1932年の10月1日で、東京市の編入に伴って板橋区が誕生したことに寄ります。
以降は境界線の変更が幾度か繰り返され、1943年には東京都が誕生したことにより、東京都板橋区という住所表示になっています。
1947年には東京都特別区の22番目の特別区に指定され、現在に至っています。
現在は住宅地が密集している地域性になっていますが、板橋区が誕生した当初は東京都の中でも田畑地が多いエリアで、田園風景も多く見られた地域です。
そのため東京の満州という命名がなされたこともありますが、現在ではその面影が残っていないほど高層マンションなどの住宅地が密集しているエリアとなります。
中山道にあった、板橋宿が由来ですね。
その宿場も地名が、板橋だったのがこの記事ですね。
蒸気機関車の時代は通勤利用は少なく、駅=空港みたいな扱いでした。
つまり排ガス・騒音で避けられれ、池袋に山手線が通るようになった。
結果的に寂れてしまったので、後から東武東上線が作られて感じです。
でも時すでに遅し、中心は池袋に移り・板橋は住宅地になる。
※甲州街道における京王線と、先にできた中央線と似てますね。
イマイ様
中心が池袋に移らなければ、板橋は住宅地になることがなかったんですね。
そうすれば板橋が栄えていたかもしれませんね。